《おすすめ保険の選び方》保険の成り立ち〜生命保険の歴史〜

 保険と聞くと、新しいもののようなイメージがありますが、保険のような仕組みは昔からありました。それは、保険という言葉ではなく、相互扶助という仕組みで、誰かが困ったときにみんなで助けるという仕組みです。

 保険の発想も元々は「助け合い」から生まれたものです。それが、歴史を積み重ねていくうちにだんだんとビジネスの意味合いが強くなっていきました。

 

◆大昔の生命保険

 保険というと比較的人類の生活が文明的になってから出来たものだと思われがちですが、以外にも保険に似たような仕組みは紀元前からあったと言われています。仕組みは単純で、誰かが困ったときのために、みんなでお金を出して貯めておくというシンプルな仕組みです。

 現在の保険も簡単に言うとこのような仕組みです。

 

◆中世の生命保険

 中世になると、現代の保険にもう少し近いものが登場します。ヨーロッパには職業別に「ギルド」と呼ばれる組合があったのですが、組合員達は日頃みんなでお金を積み立てて、誰かが病気になったり亡くなったりした時のお見舞金として使われていました。

 また、協会が中心となって「香典前払い組合」や「結婚資金保険」などの相互救済システムもありました。

 

◆近代の生命保険

 イギリスのジェームス・トドソンという人が18世紀に大数の法則という確率論を使って、年齢別の死亡率を土台にして、確率に基いて年齢別に保険料を算出するという方法を開発しました。そして、その方法をもとにイギリスの「エクイタブル・ソサエティ」(1762年設立)という会社が世界初の確率に基づいた保険を開発しました。

 

◆日本の生命保険

 欧米の近代的な保健事業を日本に伝えたのは、1867年に福沢諭吉が書いた「西洋旅案内」です。この本には「生涯請負(生命保険)」「火災請負(火災保険)」「海上請負(海上保険)」の3つが紹介されていました。

 この本を読み、安田財閥の安田善次郎が1880年に、日本で最初の生命保険会社「共済五百名社(安田生命の前身)」を開設しました。そして、次々と保険会社が作られていきました。

・1880年 共済五百名社(安田生命の前身)
・1881年 明治生命保険会社(明治生命の前身)
・1888年 帝国生命保険会社(朝日生命の前身)
・1889年 日本生命保険会社(日本生命の前身)

 こうして次々と出来た生命保険会社でしたが、昭和初期から第2次世界大戦にかけて縮小と集約をくり返します。そして、戦後「金融機関再建整備法」のもと13社が相互会社として再スタートしました。

 戦後の生命保険は大きく発展し、スイスの再保険会社の2010年の調査によると、日本は国民一人あたりの保険料は世界2位になっています。 

 戦後は一家の大黒柱が亡くなった場合の「死亡補償」の契約が大きかったですが、最近では、生活スタイル、夫婦のあり方、少子化、高齢化などにより、死亡保障よりも生きるための医療費補償などの保険が人気になってきています。

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